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50分の1のエルサレムを訪ねて

エルサレムの中心街からやや西側、ギブアットラムと呼ばれる地域(政府官公庁や大学などがあります)の中に、イスラエル博物館があります。ここの有名な展示物は、死海から発見された約2000年前の写本や発掘品を展示した「死海写本館」で、お皿を伏せたような形状の真っ白な建物は非常にユニークです。

博物館のこの死海写本館の近くには、エルサレムの「第二神殿時代の模型」があります。名前に「第二」が付くからには、当然「第一」があるのですが、第一神殿とは紀元前10~6世紀の間ソロモン王によって建てられた神殿があった時代、第二神殿時代は前6世紀~紀元後1世紀に再建された神殿が建っていた時代のことを指します。ここの模型はその第二神殿時代の末期(紀元64年頃)、ローマ軍によって滅ぼされる直前の約2,000年前のエルサレムを、高低差も含めて再現したものです。50分の1というサイズは、模型上の2cmが実際の1メートル、人間の大きさが大体3~3.5cmほどになります。

これを作ろうと考えたのは故アビ・ヨナ教授。ある日自分が2,000年前のエルサレムを歩いている夢を見た教授は、そのあまりのリアルさに興奮して、これを是非多くの人に紹介したいと思い立ったそうです。ヨセフスの著書「ユダヤ戦記」をはじめ、ミシュナーなどのユダヤ教文献、新約聖書なども参考に設計を始めますが、もちろん全部は分からないので、ご自分のインスピレーションで補いながらのようでした。1967年の6日戦争後各地で発掘が進み、今では、考古学的な修正も加えられて現在に至っています。

エルサレムは、今でも市の条例によりエルサレムストーンという若干赤みがかった石灰石で建物の表面を覆う必要がありますが、2,000年前もこの石が石材の中心でした。民家は別としても、ある程度の規模の建物は全てこのエルサレムストーンで作られていて、当時のエルサムの町並みや城壁、家などを彷彿とさせてくれます。民家であっても一軒一軒の家を丁寧に作りこんでありますし、大きな邸宅には当時の典型的建築スタイルの中庭と噴水が据え付けられています。しかし中でも目を引くのは、神域とよばれる神殿を中心とした長方形の一角でしょう。この中でイエス様は二つのレプタを投げ入れる女に目を留められ、両替商の屋台をひっくり返し、パウロは手を振り上げて演説をした…、そんな様子が目に浮かぶようです。


世界中からやってきたユダヤ人でにぎわう商店街、神殿に入るときに通った階段、ゴルゴダの丘など、この模型を見ていると思いは2000年前にひとっ飛び。嘆きの壁やヤッフォ門など現在のエルサレムと比べるとさらに興味が湧かされることでしょう。
でもなんと言っても、ご自分の目で確かめるのが1番です。

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